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認知症の接し方・コミュニケーションを学べる『旅のせんぱいA.I.』

公開日:2025.07.22
最終更新日:2025.07.22

「認知症の家族との接し方がわからない」「利用者とのコミュニケーションに困っている」

こんな悩みを持つ方へ向けて、革新的な取り組みが注目されています。

それが、認知症の当事者の視点を疑似体験できるA.I.ツール『旅のせんぱいA.I.』。

この記事では、この「認知症未来共創ハブ」のプロジェクトの延長上に開発されたAIツールとその使い方、また、なぜこのようなAIツールができたのか、そして法人・自治体向けの研修利用の可能性までをご紹介します。

目次

認知症の方とのコミュニケーションや接し方──なぜ難しいのか?

認知症の方とのコミュニケーションや接し方に関して、多くの書籍や研修資料、ブログ記事などが存在します。

書籍や研修資料、ブログ記事などでは、「こうしてはいけない」「この対応は避けるべき」といった禁止事項が多く並びがちです。そのため、読者は「間違ってはいけない」という緊張感ばかりが募り、結果的に疲弊してしまうこともあります。

認知症の方との関わりが難しいとされる背景には、どのような要因があるのでしょうか。

その根本には、「認知症当事者の内面を、外側からは正確に知ることができない」という課題が横たわっています。

私たちは、自分が見ている世界を基準に相手を理解しようとしますが、認知症の方が見ている世界は、時に過去と現在が混ざり合い、意味づけや感情のとらえ方も異なるため、表面の言葉や行動だけでは理解できないことが多いのです。

家族介護者の「戸惑い」と「孤独」

自宅で介護をしているご家族の方にとって、認知症の方との日々のコミュニケーションは大きな負担になります。たとえば次のような悩みが、よく聞かれます。

  • 何を考えているのかわからない
    返事がなかったり、見当違いの言葉が返ってきたりすると、まるで通じ合えていないような孤独を感じることがあります。
  • 同じことを何度も言われてついイライラ
    認知症の記憶障害により、本人に悪意がないとわかっていても、繰り返される言動に感情的に反応してしまう場面は珍しくありません。
  • どう声をかければいいのか分からない
    機嫌を損ねてしまうのではないか、刺激になってしまうのではないかと、言葉選びに迷い、結果的に関わること自体が億劫になるケースもあります。

これらの状況は、家族介護者にとって精神的なストレスとなるだけでなく、長期的には介護離職等、生活に深刻な影響をもたらすことも指摘されています。

日本総合研究所が2024年12月に全国の家族介護をしている会社員 1,000名に対し、インターネットアンケートを行った調査結果によれば、家族の介護について、仕事に対する影響があると答えた人は、認知症家族を介護する人で50~77%、認知症なしの家族を介護する人で23~51%と、かなりの開きがあります。また、認知症家族を介護する人の60%は介護離職を考えたことがあると答えています。

出典:「ビジネスケアラー・ワーキングケアラー、 特に認知症家族介護者の実態・意識等調査 【調査結果資料】」

介護現場の職員が抱える「距離感の悩み」

介護施設やデイサービスなどで働く専門職であっても、認知症の利用者とのコミュニケーションに悩むことは少なくありません。2024年7月に公益財団法人介護労働安定センターが公表した「令和5年度介護労働実態調査」によれば、介護労働者の35.2%が「利用者に適切なケアができているか不安がある」と回答しています。

特に新人スタッフに多い声として、次のようなものがあります。

  • 気持ちが理解できない
    自宅に急に帰りたいと言い出したり、不機嫌そうな表情や突然の怒りの理由がつかめず、適切な対応に自信を持てなくなります。
  • 不安そうな表情の理由がわからない
    表情や態度に出ている不安に気づいても、その背景やきっかけが見えず、寄り添いたくてもできないと感じることが多々あります。

こうした利用者との介護スタッフの感情的な距離感は、誤解につながり、双方にとって不安や拒否感、無力感を育ててしまう原因となります。

コミュニケーションを改善するための「バリデーション」

認知症という言葉が一般に普及する前は、認知症の方への対応は、間違いを無理やり訂正し暴れれば鎮静剤を打つ、拘束するなどの方法が取られていました。

この方法に疑問を感じたアメリカのソーシャルワーカーであるナオミ・ファイル氏が認知症の方とのコミュニケーション法として開発したのが「バリデーション」と呼ばれる手法です。

ビジネスやITでは、「あるものが適切かどうかを検証し、確認する」と言う意味で使われる言葉です。

介護の世界では、認知症の方が感じている世界や考え方を否定せずに寄り添うことで、より利用者様の気持ちに寄り添い症状を緩和させるコミュニケーション手法を指します。

2023年にナオミ・ファイル氏は逝去されましたが、彼女の開発した手法は、介護の現場に広く取り入れられています。

もっとも、『気持ちに寄り添う』という原則は理解しやすいものの、その実践には相応の困難が伴います。

認知症の方ともコミュニケーションがうまくいかない背景には、結局のところ、認知症ご本人がどのように感じているのかを、周囲が正確に把握しにくいというところに根本的な難しさがあります。

認知症世界の歩き方プロジェクトとは?

「認知症の人の目で世界を見てみる」

認知症の方とのコミュニケーションの難しさは、認知症ご本人がどのように感じているのかを、家族介護者・介護職などの周囲が正確に把握しにくいことが課題となっています。

そのような中で注目を集めているのが、対話型A.I.(人工知能)を活用した認知症当事者の視点学習ツール、『旅のせんぱいA.I.』です。

これは、認知症のある方の「感じ方」や「考え方」を、仮想的な会話体験を通して学べるまったく新しいアプローチです。

認知症A.I.『旅のせんぱいA.I.』とは?

対話型A.I.による仮想の「認知症のせんぱい」との会話

『旅のせんぱいA.I.』は、認知症の当事者約100名へのインタビューをもとに開発されました。多様な認知症当事者の声を元に、認知症の方の「記憶」「感情」「状況認識」などの特性を、自然言語で再現できるAIとして実装したのが特長です。

画面上に登場する“認知症の先輩”と呼ばれる仮想の人物とチャットすることで、「自分がとった行動や話し方がどう受け止められているか」「なぜそのような反応になるのか」が判ります。

家族介護者や介護職員が、「当事者の視点」からの気づきを得ることができます。

このAIは2025年に京都府京丹後市で採用され、「認知症相談システムA.I. 『認知症世界の歩き方 旅のせんぱいA.I.』」として一般に公開されています。こちらから誰でも無料で使うことができます

家族や介護職がチャットしながら理解できる

『旅のせんぱいA.I.』の特長のひとつは、LINEなどのチャットアプリ感覚で使えることです。

出典:「認知症世界の歩き方」ホームページ

スマホから気軽にアクセスでき、家族介護者や介護関係者が自分の都合のよい時間に、AIと会話を重ねる中で、疑問を解決できます。

たとえば、ある利用者が「夕方なのに朝ごはんを食べていない」と話した場合、従来の視点では「記憶障害かな?」と受け取ってしまいがちです。

しかし、『旅のせんぱいA.I.』は、以下のような実践的なフィードバックを返します。

  • 「時間感覚を否定せず、まず相手の感覚を受け止めると、本人の安心感につながります」
  • 「朝食の写真を撮っておいて、一緒に見ると落ち着く」

AIが認知症の当事者約100名のデータを学んでいるため、利用者は「単なるロールプレイ」ではなく、認知症の方の視点からの気づきを得ることが可能です。

認知症A.I.の活用で変わる接し方とコミュニケーション

認知症A.I.の活用で、接し方や声かけに、どのような変化をもたらすと期待できるでしょうか。

まず、認知症特有の思考や感情があることを理解できるようになります。これにより、「なぜそんなことを言うのか」「なぜ覚えていないのか」といった疑問が、共感や理解の視点へと転換されます。

「なぜそんなことを言うのか」という背景がわかれば、適切に声かけの言葉を工夫したり、声掛けのタイミングも変えることができます。

こうした変化は、結果的に認知症の方との信頼関係の構築や介護者自身のストレスの軽減にもつながります。

A.I.との対話を通じて、「認知症の方の視点に立つ」体験を共有することで、一方的なケアではなく“対等な関係”としての支援を目指すことができます。

このように、旅のせんぱいA.I.は「認知症本人はどう感じているのか」ということを、認知症の「先輩」たち100人の語りをベースに構築された便利なAIツールです。

と同時に、認知症の方との信頼関係構築に役立つ対話型の認知症学習ツールでもあります。

認知症A.I.ができるまで

厚労省の統計によると、2040年に認知症患者は約584万人に達すると言われています。

出典:厚労省資料「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」

認知症の理解促進への取り組みは、ますます重要性を増しています。このような中、自治体の介護福祉政策において、「共生社会の実現」を具体化する手段として、「認知症世界の歩き方 旅のせんぱいA.I.」は注目されています。

認知症A.Iを企画・開発した特定非営利活動法人イシュープラスデザイン

この『認知症世界の歩き方 旅のせんぱいA.I.』を企画・開発したのは、特定非営利活動法人イシュープラスデザイン(Issue+Design)です。代表の筧裕介氏は、「社会の課題を、市民参加型で“デザイン”によって解決する」ことを理念とし、行政・企業・NPOと連携した多数のプロジェクトを展開しています。

「認知症世界の歩き方」は、2021年9月に書籍化されました。

この書籍ができるきっかけは、認知症未来共創ハブという産学官連携プラットフォームを立ち上げようとしていた慶應義塾大学教授の堀田聰子さんと筧代表との出会いでした。

筧代表が、認知症未来共創ハブというプロジェクトの一環で認知症の方たちにインタビューをする中で、当事者がどのような認知機能障害を抱えていて、それにともなってどのような困りごとが生じているのかということが分かりました。

そこで、体系的に整理されているものがあるはずだと一覧のようなものを探したのですが、見つからなかったそうです。医療者や介護者の視点で「こういう問題行動があって、これにどう対処するか」というものしか見つからない。

そこで、認知症のある方約100人をインタビューし、「認知症当事者ナレッジライブラリー」にまとめました。

このインタビューは、ご本人の「語り」に基づいてまとめた、発症から現在までのあゆみ、喜びや実現したいこと、日常生活の困りごとや苦労(生活課題)と背景にある心身機能のトラブル、これとつきあう暮らしの知恵を、「ひと」「生活課題」「心身機能障害」のキーワードから検索することができます。

また、認知症の方に見えている世界はご本人以外の周りの人、特に近くにいる家族や医療・介護従事者とは同じようには見えていないという気づきから、認知症の方が見えている景色を、ご本人の視点で世の中に伝えたいと考え、WEBサイトで「認知症世界の歩き方」という連載を始めました。

この連載が基になってできたのが、「認知症世界の歩き方」という書籍です。

「認知症世界の歩き方」では、認知症の方が生活の中で経験するさまざまな出来事を、読者の方が「認知症世界を旅する」というストーリー仕立てにして、学び、楽しめる旅行記の形で表現されています。

WEB連載から始まった「認知症世界の歩き方」は、発売1週間で三刷が決定。累計 20000部という介護の専門書では珍しいヒット作になりました。

NHK Eテレでのシリーズ番組化され、現在、認知症関連書籍としては異例の20万部を超えるヒット作となっています。漫画版がフランス語版、英語版、繁体字版、簡体字版4か国語が販売されています。

人材研修や自治体の認知症施策に

「認知症世界の歩き方」はこうした背景があって出来上がった書籍ですので、単なる個人向けツールにとどまりません。イシュープラスデザインは、共生社会を目指すビジネスや自治体・介護施設向けのワークショップを開催しています。

地域包括支援センター等の職員向けトレーニングに公認ファシリテーター養成講座も展開しています。すでに各地の自治体や医療・福祉法人が導入を検討・実施した実績があります。2024年現在、全国に400名以上の旅のガイドがいます。

個人が参加できるワークショップもあります。こちらから

教材パッケージやワークショップ展開も

認知症の問題に取り組む他の団体との協業も進んでいます。

「認知症サポーター養成講座」は全国キャラバン・メイト連絡協議会が行っている認知症サポーターを全国で養成する講座で、認知症になっても安心して暮らせるまちを目指しています。

この「認知症サポーター養成講座」の要件に沿って、市民の皆さんが「認知症当事者の視点」をより楽しく学ぶための各種教材および、その教材を活用いただけるライセンスも提供しています。

この教材・ライセンスには、

  • 運営用スライド(90分講座運営用スライドデータ)
  • 対話型ワーク用シート(講座内で使う対話ワークのためのシートデータ)
  • ワーク用カード
  • 配布用冊子等

が含まれており、「認知症サポーター養成講座」の主催者が、誰でも楽しく認知症について学べる場を開催できるようになります。

現在、この教材は130もの自治体や団体に活用されています。

 

まとめ:認知症との向き合い方が変わる

認知症のある方とのコミュニケーションに悩むすべての人にとって、「認知症世界の歩き方 旅のせんぱいA.I.」は「知識」ではなく「体験」として気づきを得られる学習ツールであるとともに、実践的知見が得られる画期的なツールです。

家族介護者はもちろんのこと、介護現場のスタッフ、企業の人材開発担当者、地域包括ケアに関わる行政職員にとっても、「共に生きるための視点の転換」をもたらすツールとなります。

認知症を「共感して理解する」ことは、時間に追われる生活を送っている社会人にとっては、かなり難しいことです。

しかし、相手の視点に立つための補助ツールと想像力が少しあれば、認知症の方との距離を縮めることができると思います。

その第一歩を支えるのが、この『認知症世界の歩き方 旅のせんぱいA.I.』です。

このA.I.との対話を通じて、認知症のある方との関係性を対等に、前向きに変えるきっかけを得られると予想されます。

[参考資料]
認知症の不安や相談に寄り添うA.I.チャットボット「認知症世界 旅のせんぱいA.I.」が誕生!!

認知症当事者ナレッジライブラリー

認知症相談システムA.I. 『認知症世界の歩き方 旅のせんぱいA.I.』

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